無職ヒモ日記26

〇 深夜のカルガモ狩り(※フィクションです)

 

深夜丑三つ時。俺は板橋区某所にある公園に出没していた。

 

何のことは無い。カルガモの雛を捕まえるためである。

 

その池は半径30mほどの小さな池、しかし濁った池の深さは未知数。一度昼間の下見で長さ50cmほどの木の枝を突っ込んだが、それでも底には着かなかったので、恐らく1m以上は深さがあるだろうと踏んでいた。

 

俺は近所のスーパーから要らなくなった発泡スチロールの箱を貰ってきていた。それを火で炙ったカッターナイフで四方を切り平な板にし、切り分けた4面と蓋の部分をガムテープで重ね合わせビート板代わりとした。池での行動を容易くするためである。

 

目標は池の中央の小さな小島、そこにカルガモ親子が住んでいた。そこに上陸するためには、深さ未知数の池を泳いで横断しなければならない。非常に濁った水のため顔をつけたくないので例の発泡スチロールで作ったビート板にしがみついて泳ぐつもりであった。

 

深夜の都内、人気の無い住宅地の真ん中にある公園、そこに発泡スチロールをガムテープでぐるぐる巻きにしたゴミの様な板を持って水着姿で歩く成人男性。最早、狂気以外の何物でも無い。

 

当時、警察に通報されて職質でもされたら基地外扱いされて病院送りになっても文句は言えない所業であったであろう。

 

しかしそれでも俺は滾る血を抑えきれなかったのだ。俺の身体に眠るカルガモの雛狩りの血が(下記参照)

chonny.hatenablog.com

 

未成年の頃ならいざ知らず、成人になって、しかも無職のヒモでしかない俺が都会のど真ん中でカルガモを捕まえているだなんて知られたら完全に逮捕される。そもそも動物愛護法とか鳥獣保護法とか色々アウト

 

そのリスクを鑑みても、なお俺をカルガモ狩りに駆り立てるものは一体何なのだろうか? それはもう狂気である。俺は狂っているのである。カルガモの雛に。

 

月の無い晩、明かりも遠く、都内にしては珍しく暗闇が多い公園内。池の傍から俺はそろそろと脚を差し入れる。昼間の灼熱の太陽の置き土産か、池の水はまだそこそこ温い。ゴミ同然のビート板を水に放り、そこに手を置きながら慎重に足を水中に入れていく。想像以上に深くはあったが、しかし腰ほどの深さで脚はついた。

 

俺は両足を池の底につけると静かに歩みを進めた。静寂な池の水面にさざ波が立ち、わずかな水音が立つ。野生動物の聴覚はそんな音でも察知する、もっと慎重にならなくてはいけない。俺は息を殺しながら、ゆっくりと進み、音を出さないように進む。

 

と、そこで突然池の深みが増した。腰ほどの深さから急に足がつかなくなる。仕方なくビート板の浮力に身体をまかせ、池の底から足が浮く。そこでビート板が深く沈み込み、大きな波を立てた。まずい、カルガモ親子に気付かれただろうか。息を殺すが小島からは何の物音もしない。

 

まだ大丈夫であろうか、池の真ん中の小島まで後数メートルであった。何とか気づかれないまま上陸したい。奇襲作戦が成功すれば網の無い素手でも何とか勝負に持ち込める。俺は更に慎重に足を進める。水面に浸かった身体の抵抗が大きく、進みの速度は遅かった、数メートルの距離が遠くに感じられる。無限とも思える時間に思えたが実際は5分ほどであろうか。俺は何とか池の真ん中の小島までたどり着いた。小島の大きさは周囲7~8m、葦が生い茂り中の様子は外からでは伺い知れない。

 

島は当然人工のもので、水底~水面までは石垣のようなものが積み上げられていて、側面はデコボコが多い。足をかける場所には困りそうに無かった。静かに、そして息を殺し俺はビート板から手を離し小島のヘリに手をかける。水中の石垣の中ほどに左足をかけ、力を込める。いつでも上陸可能だ。あとはタイミング次第。

 

息を殺し、島中の気配を伺う。中に動きは無い。奇襲成功か? 俺を心の中で数を数えた。3、2、1、!!

 

左足を踏ん張ると共に、小島のヘリにかけた両手に力をかける。水中から体が勢いよく飛び出し、勢いに任せて右足を島の地面につくと、一気に葦を押しのけカルガモの巣がある辺りに突っ込む。さぁ狂気に満たされた俺の狂った宴の幕上げだ!!!!

 

と思ったら巣の中は空っぽであった。饐えた泥の匂いと鳥類の野性的な匂い、それと鳥の糞が入り混じった匂いが充満する葦の小島の中、足元にあるカルガモの巣には、白い卵の欠片が僅かに暗闇の中に見えるだけで、他は何も無い。もぬけ空であった。

 

そんなまさか、物音すらしなかった。俺の奇襲作戦は完全に成功だったはず。愕然とする俺の耳に、小島の外から僅かに水を搔きわける音が聞こえた。まさかと思い、葦をかき分け池の水面を目を凝らして見る。わずかな星明りの下、黒い塊が無数の小さな塊を従え小さく集まって泳ぐ姿が見て取れた。

 

やられた。10代の頃から長らくカルガモ狩りから足が遠のいていた俺は完全に五感が鈍っていた。

 

恐らく母ガモは俺が水辺に入った時から目を覚まし気づいていたのだろう。そして俺が深みに嵌って大きな水音を立てた時、完全に巣から撤収していた。俺はその水の出した音の中に葦をかき分け逃げるカモ親子の音が混じっていたことに気付いていなかったのだ。

 

かつての俺なら、川の流れる音の中に、カルガモ親子が水面に下りて泳ぐ音を聞き分けることが出来たのに。かつての感覚の鋭さは完全に衰えていた。俺はそれに気づいていなかったのだ。歳はとりたくないものである。

 

小島に立ち尽くす俺に勝ち誇るかのようにカルガモ親子は俺の目の前数mを悠々と泳いでいる。

 

この池の深さでは飛び出して捕まえようとしても、水面を浮かんで逃げるカルガモ親子のスピードには敵わない。それより深さ不明の池の中に飛び込むリスクも大きい。

 

俺は素直に白旗を上げ退散することにした。

 

都会のカルガモを人に慣れ切った家畜同然と侮った俺の負けである。来年に、五感を鍛えてまた挑んでやる。俺はそう心に固く決めて池を泳いで渡り去ることにした。この悔しさを俺を大きく成長させるはずだ。今はそう信じるしか無かった。

 

果たして無職ヒモの俺に来年はあるのか!? だらけ切った生活の中に五感を鍛える術はあるのか!? がんばれ無職ヒモニート!! 来年こそはカルガモ親子に勝てるのか!!

 

次回:「びしょ濡れ海パン姿の俺、帰宅途中に警察に捕まる!!」

   「どんな言い訳も無職ヒモニートで信用ゼロ!!」

   「彼女が警察に迎えに来てくれない!?」

 の三本立てです!みんな見てね!!

 

 

※ この話は完全にフィクションです。都内でカルガモを捕まえようとしたら多分鳥獣保護法とか条例とかで完全に逮捕ものです。決して真似することないようお願い致します。あと通報も

 

 

 

 

 

無職ヒモ日記25

 

 

〇 ホワイトデー

 

バレンタインというイベントは嫌いだ。何故なら、何も思い出が無いからだ。

かつて不遇の学生時代を過ごした。バレンタイン、クリスマス、他になるかあるか分からないが、所謂恋人に関するイベントには学生時代に一切の思い出は無い。

 

バレンタイン、ドギマギする気持ちを抑えて誰かくれるものかと期待して学校に出向くが女子は誰一人として来ちゃくれねぇ... そうか皆照れ屋さんなんだなと思いつう帰りの下駄箱を除くが何もねぇ、2月15日の朝、それでも諦めきれずに下駄箱を探してみるがやはり何もねぇ... そんな学生時代を中高大と過ごした。

 

故にバレンタインの思い出は皆無である。

 

それ故に俺はこういうイベントごとへのお返しをどうした良いのか分からないのだ。

 

それで貰ってしまった彼女からのバレンタイン、一応ヒモである身の俺にもチョコをくれるのが優しい彼女である。菩薩や、マジで菩薩のようなお方やでぇ

 

なんかよく分からないけど外国製の高い奴っぽい、パティシェとかが作ってるやつ? よう分からんけどブラックサンダーよりは旨い。ちゃんとカカオの香とか強いし、お酒度か入ってるし、触感が違うよね、口の中でほろりと溶けるというか。

 

たぶん高いチョコなんだと思う。値段が分からないけど、5倍返しとかしたらたぶん己財布からお金無くなるレベル。

 

しかし安いチョコでは絶対満足しないだろうし、どうしたら良いんだろう…と迷っていたらもう3月14日である。ちなみにまだ用意はしていない。

 

ちなみに去年はホットケーキを焼いてあげた気がする。普通の森永のホットケーキミック買ってね、卵と牛乳が家にあるやつ。実質おれが出したのはホットケーキミックスのお金だけ。

 

今年もそれじゃ駄目かな? つーかこんなことしてたらいつか彼女から殺されそうだ・・・ ヒモはヒモらしく彼女に尽くすべきか

ちなみに念のため、俺はこの事件の被害者じゃありません。

 

www.j-cast.com

 

 

 

無職ヒモ日記24

 〇 カルガモ狩り

 

唐突であるが、カルガモの雛を捕まえるのが趣味である。

 

何かの比喩とかでは無い。紛う事無くカルガモの雛を狩るのである。

 

これはもう性癖に近いと言っても良い。毎年6月~8月のカルガモの繁殖期になると血が沸き立ってしょうがないのだ。ネットニュースやTVでカルガモの赤ちゃん誕生とかカルガモ親子の大行進、などという映像を見た日にはもう止まらない。体が震えて現場に今すぐ向かいたくなるのだ。

 

この性癖に目覚めたのは小学校低学年くらい、実家は両サイドを川に囲まれているという、希有な立地に生まれた俺は夏になれば毎日川に入って遊ぶほどの川っ子であった。

 

そんな川っ子の俺はある日カルガモの親子に遭遇して興味本位で接近しすぎてしまった。それがカルガモ母の逆鱗に触れたらしい。彼女は羽を水面に叩きつけながら嘴を突き出して俺に飛び掛かってきたのだ。当時まだ身長140cm程度の小柄の俺、体長60cmあまり、翼を広げたら90㎝ちかくあるような野生動物が威嚇しながら猛烈な勢いで迫ってくるのは恐怖以外の何物でも無かった。当時の俺は服が濡れるのも厭わず川を走って転びながら泣きながら逃げた記憶がある。

 

これが俺とカルガモの因縁の始まりである。

 

その記憶が俺の心に与えたトラウマは大きかった。人間がカルガモ如きに舐められてたまるか、俺は万物の霊長なる人間様ぞ。鳥類如きにコケにされてたまるかと、夜な夜な涙し復讐を誓ったものである。

 

それ以降、毎年カルガモの繁殖期になると俺は子連れカルガモハンターと化した。

 

まずはカルガモの巣を見つけるところから始まったのだが、これが難しい。彼女たちとて野生動物である。野良猫やカラスや鼠など、天敵に容易に見つからぬような場所に巣を作り卵を温めるため、小学生の浅はかな頭では見つかるはずも無い。

 

巣を探し続けて幾星霜、結局発見出来たのは偶然で見つけた2回のみである。ちなみに卵を温めているカルガモをどうにかするのは人道上どうかと思ったので、見つけた後は定期的に観察するだけに留めておいた。

 

次にカルガモの生態である。都会の池などで人に慣れたカルガモと違い、田舎のカルガモはそれなりに人を警戒している、トビやカラスなどもいてヒナが狙われる率が都会に比べて高いと思う。故にヒナがまだ小さくて狙われやすいうちは開けた場所を泳ぐ機会は少ない(少なくともうちの地方は)川岸のギリギリを泳ぎ、水面に垂れた木や草の隙間を縫うようにして泳ぐことが多い。これは彼女たちの植生が雑食で水草、草のたね、タニシなどを食べる点からも餌を探す作業を兼ねている部分もあるかもしれない。

 

また雛を抱えている親鳥は非常に警戒心が強い、カルガモの警戒は非常に分かりやすい。首の長さでその個体の警戒度が分かる。首をすぼめている状態は警戒を解いている。この状態はほぼ無警戒であると言って良い。

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逆に警戒している時は首を長く伸ばす。

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特にコガモを抱えている時の母ガモの警戒心はなかなかに高い。オスがこの時期、岸寄りを泳ぎながら警戒心をあらわにしながら餌を食べてる姿をあまり見ることは無い。

 

つまり岸寄りを警戒心露わにして泳ぐカルガモがいたら高確率で雛を連れているカルガモである。

 

小学生だった俺は当時、学校が終わると川上から上流にかけてくまなくカルガモをチェックしてカルガモの雛を探したものである。

 

カルガモの雛を見つけたら… ここで雛を捕まえる場合に重要なのはコガモの習性と親ガモの習性である。カルガモのように、生まれてすぐに巣を出て泳ぎ始めるような鳥は擦り込みといって卵から出てすぐに目にしたものを親と認識する。それ故、ヒナたちは親ガモから離れず後ろをずっとついて泳ぐのだが… コガモは危機に直面すると、親ガモの元から真っ先に逃げ出す。コガモとは思えぬ速さで一斉に散り散りに泳ぎだし、草むらに逃げ込むのだ。これは非常に賢い選択である。固まって逃げるよりバラバラになって逃げる方が全体としての生存率がかなり上がる。おまけにあの小さな個体で草むらに入られたら見つけるのは困難だ。

 

親ガモは親ガモで、偽傷行為とは違うが翼を水面に叩きつけながら大きな音を出してこちらの注意を引こうとする。そうしてコガモの逃げた方と反対側に狩人を誘導しようとする。コガモは親の後を追うものと思ってこれを追いかけると、コガモが全くいない方向に連れていかれてしまうので注意が必要である。

 

さて、逃げ出したコガモと親ガモであるが、上手く敵から逃げ通した後はどうやって再開するのだろうか?

 

親ガモは危険が去ったと思われるタイミングで、コガモとバラバラになった地点に帰ってくるのだ。それまではどこか遠くに飛び去っていたり、狩人を遠くに誘導していたりする。

周囲を警戒しながら、敵がいなくなったことを確認するとヒナを呼ぶ独特の鳴き声を発する。そうするとそれまでバラバラに散って草むらに隠れていた雛たちはその鳴き声を聞きつけ集まってくる。それ以外のことでヒナたちが隠れている場所から出てくることはほぼない。

 

また更に急な危機、例えば岸から遠い開けた川面であったり直上から急にトンビに襲われた時などは、ヒナは水中に逃げる場合がある。あの小さな体で平気で30秒~1分以上は潜ってたりする。その際は瞬膜と言われる半透明状の二枚目の瞼を閉じてゴーグルのようにして水中を泳ぐのだ。

 

これらの習性を把握した上で、川でどうカルガモの親子を狩るかである。

 

俺が選択した方法は網を持って土手沿いの道を徒歩で移動し、見つけた場合即急襲である。ヒナは小さく、手で捕まえていたのでは効率が悪く、またすばしっこいので逃しやすい、また先述した通りに水中を潜って逃げる場合がある、それ故に網で捕まえることが効率的に優れている。また川の中を移動しながら探していたのでは音でバレるし、何より水に足を取られて動きにくい。土手を歩きながらひたすら探索するのか最も効率が良いのだ。

 

見つけた場合どうするか? カルガモの場合、川を泳いでいれば陸上の動物が水の中まで追ってくることは無いと高をくくってる節がある。発見して川岸まで下りていくと、大抵は川の中ほどでこちらの様子を伺いながら中程度の警戒でこちらの様子を見ている場合が多い。この時がチャンスである。

 

カルガモ親子と向こうの川岸と俺が一直線の線を引いて直角になるような位置取りをするのがコツである。この場合なるべく浅瀬の方が好ましい、目安は脚の膝を超えない程度(理由の説明は後程)。タイミングを説明するのは難しいが、親ガモが隙を見せた瞬間に襲いかかるのである。岸を勢いよく蹴って川に飛び込む、先に説明したが浅瀬であることが重要なのはこの際の機動力がモノを言うからである。深ければ深いほど足を取られて動きが鈍くなるからだ。カルガモ親子と接触する時間が短ければ短いほど良いのだ。

 

俺の動きを察知してカルガモ親子が取る行動は一つ、親ガモは俺に向かってくる。コガモたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。親ガモには目もくれず、慌てふためくコガモの群れ、その瞬間を捉え網ですくうのだ。なるべく多くが逃げている方向に網を向け一気に振り下ろし網のなかに閉じ込めすくいあげる。その後は取りこぼしたコガモにすぐ視線を向け、追いかけられるようなら追いかけて手で捕まえる。草むらに逃げた場合はどうせ見つからないので諦める。ただし場合によっては水辺と岸の隙間に身を潜めていたり、水中に潜っている場合あるので周辺を目を凝らしてよく探すと良い。

 

こうして捕まえたヒナたち。狩りが終わった後はスタッフが美味しk… って、んなわきゃない。

 

コガモはまだ小さく肉なんて無いに等しい。食べるところなんてほとんど無い。じゃあ家で飼うかと言われたら、残念ながら擦り込み済みのコガモを飼うのは非常に難しい。あとうち親はペット禁止だったし。

 

じゃあどうするかと言われたら親ガモが戻ってきた時に帰します。親ガモが子を呼ぶ合図は先に説明した通りである。狩りが一通り終わって満足して一息ついている頃に親ガモは戻ってきて逃げたコガモを呼び始める。その時、俺の魔の手から無事逃げ通せたコガモたちが草むらから出てき始める。そのタイミングで網からリリースするのだ。

 

キャッチアンドリリース。これが基本であった。そうやって俺は何年もカルガモ狩りを繰り返していた。年々精錬されていくカルガモの雛取り。カルガモの雛を飛び道具無く捕まえる技術では当時、日本でトップ3に入る自信はあった。ちなみにこの狩りの趣味は高校3年まで続いた。高校3年の集大成として、今度はヒナでは無く、成長したカルガモを捕まえて友人たちと食すということをした。川岸に七輪持参である。捕まえたカルガモを血抜きし、ニンニク醤油をかけて七輪の炭火で焼いて食べたのだ。なかなかの美味であった。

 

そんな若気の至りであった。

 

大人になってからはそんな気すっかり失せて… と言いたいところだが、先に書いた通りに血が疼くのである。まるで邪気眼かのように、カルガモ特集などを見るたびにウズウズするのである。

 

まあさすがに成人した大の大人がしかも東京でカルガモを捕まえるなんて、常識としてあり得ないでしょ…と思うのは素人の浅はかさ。俺は何を隠そうヒモである。もう一端の大人の社会常識など遠の昔に捨て去っている。

 

具体的に言うと板橋のA公園の池なんですがね、これが深くて胸まで浸かるんですが、そこを発泡スチロールの空き箱で作った板をビート板代わりにしt… おっとこんな時間に来客だ。彼女が帰ってくる時間にはまだ早いし誰だろう?

 

 

無職ヒモ日記23

〇 昔と今

 

・今日は1日中寝ていて頭がぼんやりとしている。起きていても、いまだ半分頭が寝ているような。夢か現か状態である。コーヒー飲んでもコーラを飲んでも、身体を動かしてもスッキリせず。頭の中で汚れて濁った血が滞留したまま、流れていかない。思考は霞がかかったかのように薄ぼんやりとしている。

 

昔、ヒモになる前、彼女と出会う前のただの無職引きこもりであった時、よくこんな状態で生活をしていた。同居者がいない分、起きるときも寝るときも気まま。朝方に眠りにつき昼過ぎに起き出す。明るい時間がほんのわずかで。うっかりしているとすぐ夕方になり、太陽を拝むこともないまま1日が終わることも多々あった。

 

万年床の布団はいつもジメジメしていて、床はゴミとホコリでまみれていた。

 

そんな部屋で俺は毎日PCに向かってアニメを見るか2ちゃんのまとめサイトを見るか、本を読むか。

 

夜の9時くらいになると近所のスーパーでお惣菜が半額になるので、それには欠かさず顔を出していた。その時間にお惣菜コーナーに集まる連中には決まった顔ぶれがあって、お互い挨拶をすることは無かったが顔見知りで「ああまたあいつだ」と俺はいつも思っていた。恐らく向こうもそう思っていただろう。スーパーの店員は俺の顔を見ると嫌そうな顔をしていた。(俺の自虐かもしれないが)

 

帰ってくると、手に入れた総菜を食べながらアニメを見たり、youtubeを見たり。この時期腐るほどアニメを見たはずなのだが、しかしその中身は一切覚えてない。夢か現かの状態であったからであろうか。

 

彼女のヒモになってからは朝食くらいは一緒に食べるので、一応規則正しい生活は送れている。

 

思考に霞がかかったような、夢か現かのような毎日は過ごしていない。一応現実を生きている自覚はある。

 

その状態が良いかは分からないが、しかし過去のその生活に戻りたいとはあまり思っていない。当時、毎日がそんな状態で確実にIQが20ほど低下していた気がする。モノを書く気力も外に出かける気概も無く、日々の時間がボンヤリと過ぎていた。いまははっきりと時間を無駄に過ごしていることを自覚し、自分の社会的クズさを自覚しながら生きているので、どちらかと言えば今の方が人間らしく生きているような気がする。

 

何を言っているのか自分でもさっぱりわからねーが… まあヒモ生活は無職ひきこもり生活より健康的ってことですね。

 

今日は久方ぶりに朝方寝て、昼過ぎの起きたので、かつての感覚を思い出したのであった。幼女戦記ぶっ通しで見てました。ターニャちゃんかっこいい、けど昔の上司みたいで時折見ていてつらいwww

 

 

 

 

無職ヒモ日記22

・ヒモと時間

 

ヒモは金が無い、友人もいない、職も無い。あるのは目の前にそびえ立つ山のような時間である。

 

ある意味では、社会人になって時間に追われている人々からしたら時間を湯水の如く使える俺は最高の贅沢をしているのかもしれない。しかし価値というものは相対的なものであり、年収300万の人間にとっての一万円と年収一億の人間の一万は数字は同じでも価値は違うであろう。ヒモにとっての時間の価値観はそれと同じである。

 

朝起きて寝るまで、当ての無い時間が果てしなく広がっている。その時間を如何に過ごすかがヒモの腕の見せどころであり、またヒモの個性が現れるところでもあるだろう。

 

と、言ってもヒモの知り合いなんていないから他のヒモの方々がどのように暮らしていらっしゃるかなんてことは分からない。とりあえず聞いた話ではあるが、彼女の上司が飼っているヒモは自称アーティストだそうだ。高い楽器だか何だかを色々カードで買わせたりしている話を彼女伝手で聞いた。

 

ヒモでアーティストなんて理想的な環境ではないか、金の心配はせず、機材は最高のものを揃えられ、生活に追われることなく自分の理想とする作品作りにとことん没頭出来る。この世のアーティストの殆どが憧れる状態。

 

しかし悲しいかな、その自称アーティストのお方の作品を今まで誰も見たことが無いそうだ。

 

残念ながら俺の知る身近なヒモの時間の使い方はそれくらいだ。正直、情報が少ないのである。ヒモのプライベートは。まあ胸張って俺はヒモだよと周りに吹聴出来る人間なんてそうざらにいるもんじゃない、東村アキコの『ヒモザイル』が炎上して連載を中止に追い込まれてしまったのは記憶に新しい。ヒモとは世間で表向きに出来ない身分なのかもしれない。隠れキリシタンかよ、うちらは!

 

残念ながら俺は『ヒモザイル』を見ることが出来なかった。気づいた時には既に炎上し、連載が中止になっていた。ストーリーを断片的にまとめサイトで見たくらいだ。

 

非常に惜しい。彼の作品が日の目を見ることが出来たら俺の地位も向上するかもしれない。何より俺は他のヒモがどのように時間を使って過ごしているかも知ることが出来たのだから。

 

世間よ、ヒモに寛容であれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに俺は一日中ネットしてます。アマゾンプライムの映画&ブラウザゲーム&漫画&読書。創り出しているものといったらウンコくらいですかね。I didn't know they stacked shit that high!  

無職ヒモ日記21

・ヒモとしての一日

 

朝、彼女が仕事に行く音で目が覚める。微睡の中を彷徨いながら、何とか起きあがり、たまに夕食を作ってあげたり、或いは朝一からアニメを見たりゲームを見たり。

 

そんな俺を見て何も言わないのは彼女の優しさなのか、或いは諦めなのか。

 

さりとてゲームをする手やアニメの再生ボタンを押す指は止まるはずもなく日がな時間は消費されていく。

 

そんな爛れたヒモ生活ではあるが、日々の運動は欠かさない。毎日30分程度は外を歩くことにしている。ポケモンGOのためだ。最近は新しいポケモンがアップデートで増えたため、散歩が捗る。彼女もポケモンGOをプレイしているため、仕事で歩けないor捕まえられないものは俺が彼女の端末を借りて近所をグルグル回るのである。この点だけは日々の生活において唯一俺の存在感を示せるチャンスである。

 

帰ってくるとシャワーを浴び、再びゲームorアニメに没頭する。そこには何も知的&生産性は無い。

 

こんな生活を既に一週間ほど過ごしているのだが確実にIQが15は下がった気がする。社会性の低下に至っては測定不能、毎日ひげもそらない、風呂も入らない、一日中スウェットで過ごし髪はボサボサ、不規則な生活で目は虚ろ。こんな姿でポケモンGOのため近所を徘徊しているのだ、児童の下校時間と重なろうものなら通報案件ものである。幸いなことに今はまだ通報されてはいないが、なるべく小中学校の近くは通らないように気を付けている。

 

そんなことをしているうちに気付くともう夜である。夜は夜で大事な使命がある。それはスーパーのお惣菜の値下げタイムである。50%offでお刺身、お寿司、から揚げ、弁当が手に入るのである。自炊もするがここまで値下げすると自炊よりお得な場合もある。弁当など冷凍しておけば二日~三日は大丈夫。これは貴重な生活の糧となるので一日のうちで最も重要な時間である。

 

それが終わるとほっと一息、スーパーでゲットした値下げ総菜の中から今日食べたいものを選び、TVでも見ながらのんびりとした時間を過ごす。一日のうちで最も至福の時である。

 

その後は彼女が帰ってくるタイミングを見計らいお風呂を張り、彼女の後に風呂に入りそして寝る。それがだいたいの繰り返し。

 

意外と充実してなくもないかもしれない。

 

俺の生活で唯一美徳なのは酒もギャンブルも一切やらない点である。それらに手を出したら終わりである。まあ興味も無いけど。

 

酒とギャンブルに走るヒモと、それらに手を出さずゲームとアニメに走るヒモ、どちらがマシかと言えば後者であると自負しているが、所詮ヒモのマウンティングなど空しいものである。犬のウンコと猫のウンコ、どっちが臭くないか? そんなこと比べたところでウンコはウンコである。その存在価値に揺るぎは無い。

 

ヒモは須らくヒモでしかない、その自覚を帯びて今日も元気にヒモしています!!

 

 

 

 

 

ヒモになる方法

togetter.com

 

ヒモ塾なんてあるんだな。世の中色々だ。ヒモはヒモをすることによって生活の糧を得ているのであって、このセブ山という方はヒモのノウハウを教えることにより生活の糧を得ているから最早ヒモではない気もする。別に批判では無い。どちらが偉いかと言えばこのセブ山さんが偉いのだ。それは間違いない、ヒモは社会の底辺なのだ。自活している分まだホームレスの方が偉い、カーストで言うなら最下層のスードラ、お天道様の下を堂々と歩いちゃあいけない。遠慮して生きていかなくてはならない。

 

しかしヒモになる方法があるなら俺も学びたい。ノウハウを得て自発的、そして積極的にヒモになれるならもう少し胸も張れるだろうか? 俺の場合ヒモになりたくてなったものじゃない。気づいたらなっていたものであった。というか元々持っている気質的なものが大きかったのかもしれない。別にヒモを目指してなっているわけでなく、気づいたらそのポジションにおさまっているだけ、水が高い場所から低い場所に流れるのと同じ、自然の流れでそうなってしまうだけなのだ。

 

俺がヒモ人生のスタートを切ったのは社会人一年目で会社を辞めた後のことである。この辺りはセブ山さんと同じかもしれない。会社を辞めた後、金は無かったが時間は腐るほどあった。当時まだそれなりに流行っていたmixiを利用して出会ったのが彼女であった。しかし彼女から別に金銭をたかったり、或いは家に転がり込んだわけではない。田舎から都会に出たかった俺は埼玉に住んでいた彼女を頼りに、埼玉の東京寄りのエリアにアパートを借りることにしたのだ。引っ越し費用は全て俺が負担している。ただ彼女のアルバイト先の最寄駅にすることで月の家賃を半額負担させることにしたのである。

 

実家住まいのフリータである彼女がそもそも俺のアパートの家賃を半額払うってのもおかしな話である。この時は完全なヒモとは言えなかったが、しかし住んでもいない家の家賃を半額負担させていることを恥ずかしも思わず当たり前のように享受している時点で片鱗は既にあったのかもしれない。

 

思えば懐かしい話だ。

 

その後五年の歳月をかけ、俺はヒモへと立派に進化を遂げていくのだが、それはまた別のお話。